阪神・淡路大震災から22年…「夢でいい、妻に会いたい」1.17のつどい、遺族代表の言葉

阪神淡路大震災から22年…「夢でいい、妻に会いたい」遺族の言葉

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阪神・淡路大震災から22年が経つ17日、兵庫県・神戸市などが主催する「1・17のつどい」は、神戸・三宮の東遊園地で開かれた。
夜明け前から参列者たちが竹灯籠に火をともし、「1・17」に添えられた発生年の「1995」と「光」の文字が浮かび上がった。

地震発生の午前5時26分。
静かに黙祷がささげられ、遺族を代表し、神戸市東灘区で被災した大鳥居慎司さん(58)=大阪府和泉市=が、「22年前の出来事は歴史で済ませられない」と、妻・裕美子さん=当時(32)=を亡くした思いを語った。

遺族代表のことばの要旨は、次のページに。



「阪神・淡路大震災から22年。これだけたつと歴史の世界になってしまいますが、私には歴史で済ますことはできません。

 早朝、激しい揺れで目を覚まし、家がつぶれました。妻に『火が出なければ助けが来る』と声を掛けると、『そんな』と言ったきり、うめき声も次第に聞こえなくなっていきました。私と長男、長女が助け出され、4時間後に妻が掘り出されたときには脈がありませんでした。

 運んだ病院で医師から『だめです』の一言。最後の望みも断たれました。妻に『2人の子どものところに行くからね』と声を掛けて病院を後にしました。避難先の魚崎小学校で、長男から『ママは天国からいつ帰ってくるの』と聞かれ、答えられずに泣きだしました。『妻は永遠に帰ってこないんだ。でも自分には2人の子どもがいる』と考え、このときから子どもを育てようという目標が明確になりました。

 小学校でPTAなどの役員をし、ほかの母親と話すと、子育ての悩みを夫は聞いてくれないなど苦労は男も女も同じと分かりました。誰かに助けてもらおうと、気負いを捨てると気が楽になりました。子育てという目標があったからこそ、悲しみを乗り越えられた気がします。

 10年ほど前から妻が生きている夢を見なくなりました。ようやく現実を受け入れたということでしょうか。でも寂しいです。夢の中でも妻に話を聞いてもらいたい。仕事も子育てもこれからのときに突然命を奪われた妻の話も聞いてあげたい。今はスーパーで総菜を買ってくるような生活です。写真の妻はただほほ笑んでいるだけですが、きっと怒っているかあきれているでしょう。会えなくても妻は天国から私たちを見守って、時には怒ってくれる家族の一員です」