【訃報】巨星逝く。ゲゲゲの鬼太郎の漫画家『水木しげるさん』が死去。93歳

水木しげる
水木しげる

「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」など妖怪をテーマにした作品で知られる漫画家の水木しげるさんが、
30日朝、東京都内の病院で多臓器不全のため亡くなりました。93歳でした。

水木さんは1958年に漫画家としてデビュー。
『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』『のんのんばあとオレ』などの人気作をこの世に生み出しました。

訃報は水木プロダクションのホームページにて報告。

水木しげるは本日永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。

・死亡日時 平成27年11月30日午前7時18分
・享年齢 93歳 (大正11年3月8日生)
・死亡理由 多臓器不全
11月11日に自宅で転倒。頭部打撲による硬膜下血腫で緊急手術を受け
一時回復していたが、11月30日未明に容体が悪化。
多臓器不全により逝去。
・出身地 鳥取県境港市
・本名  武良茂
・通夜、告別式は家族のみにて。後日お別れ会をおこないます。
・喪主 武良布枝(妻)

突然の訃報に驚き戸惑う関係者様たちの声はコチラ。

弟の幸夫さん「優しい兄だった」
水木しげるさんの弟の武良幸夫さん(91)は、30日午後2時半ごろ、東京・調布市の水木しげるさんの事務所前でインタビューに答え「最後に会ったのは兄が今月上旬に入院したときで、亡くなるとは思わず驚いています。優しい兄でしたが、戦争の思い出になると話に力が入ったのを覚えています。天国で妖怪たちが友達になっているかもしれませんね」と話していました。

松本零士さん「最近まで精力的に創作活動」
水木しげるさんが亡くなったことについて、同じ漫画家で水木さんと親交があった松本零士さんは「水木さんは自分自身の戦争体験に基づいて、多くの作品を生み出されました。戦後も、『ゲゲゲの鬼太郎』という一つの大きなジャンルを築き上げられたのをはじめ、最近まで、年齢を感じさせないほど精力的に創作活動に取り組まれました。亡くなられたのがとても残念です」と話しています。

ちばてつやさん「戦友失ったよう」
水木しげるさんとおよそ50年にわたって親交のあった漫画家のちばてつやさんは「水木さんは大先輩ですが、デビューした時期が近かったため、漫画が悪書だと言われた時期からともに苦しい時代を生きてきました。戦友を失ったような気持ちでとてもつらいです」と話しました。また、水木さんの人柄について「パーティーなどで会ったときには、互いに『老けたなぁ』と言って頭をなであったことを覚えています。いたずらをしていつも誰かを笑わせようとする温かい人でした」と振り返りました。
さらに、みずからも自身の戦争体験に基づく作品のあるちばさんは、水木さんの戦争を描いた作品について「柔らかく温かくくすっと笑ってしまうようなユーモアの中に戦争のつらさがにじみ出る作品がたくさんあります。先輩として尊敬していましたし、戦争がどういうものかもっと描き続けてほしかったです」と話し、水木さんの死を惜しみました。

つげ義春さん「丁寧に細かく描くプロの職人」
水木しげるさんのアシスタントを務めるなど、およそ50年にわたって親交がある漫画家のつげ義春さんは「水木さんは絵を丁寧に細かく描くプロの職人で、彼の手伝いに行って以降、雑で汚かった私の作風も細かく丁寧になった。人柄は繊細だが表向きは太っ腹で、おうような人物だった。最近は体が弱っているという話を聞いていて、ついにこの時が来たかという気持ちだが、心よりご冥福をお祈り申し上げたい」と話しています。

鬼太郎役 ウエンツさん「ユーモアのある方」
実写版の映画「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公、鬼太郎役を務めた、歌手で俳優のウエンツ瑛士さんはコメントを発表しました。この中でウエンツさんは、試写会で「ゲゲゲの鬼太郎」を見た水木さんから声をかけられた時のことを紹介し「先生が『君は77点だよ!』とおっしゃるので、ちょっと低いのかなと心配になったのですが、そのあと先生は『80点満点でね』と付け加えました。すごいユーモアのある方と驚きました」としています。そして、「先生はきっと今ごろ、あの世で自分自身がつくった妖怪とたわむれているじゃないでしょうか。先生はお亡くなりになりましたが、キャラは生き続けるので、演じさせていただいた僕は、これからも先生の思いをつなげていこうと思います」と水木さんの死を悼みました。

京都精華大 吉村副学長「影響は計り知れない」
水木しげるさんが亡くなったことについて、思想史と漫画研究が専門の京都精華大学の吉村和真副学長は「妖怪漫画の立役者という顔だけではなく、戦争体験で身に付いた思想を作品に表している点は非常に重要で、妖怪漫画にしても戦争体験の漫画にしても、不条理を突き抜けて前に進む方法や、その先にある明るい未来を説教くさくなく、ユーモアに示してくれたことが多くの人をはげまし、ファンの心を掴んだのではないか。戦後の日本人が手塚治虫と水木しげるという2人の漫画に触れた影響は計り知れない」と話しています。

水木しげる記念館 庄司館長「これからも業績伝える」
水木しげるさんの出身地鳥取県境港市で漫画の原画など数多くの作品を展示している「水木しげる記念館」の庄司行男館長は「あまりの突然のことで信じられません。子どもがそのまま成長したような、天真らんまんで飾らない人柄がとても魅力的な方でした。水木さんは常々、子どもたちに妖怪と仲よくなってもらいたいと話していたので、記念館としてはこれからも先生の業績を伝えていきたいと思います。長い間、本当にお疲れさまでしたと伝えたいです」と話していました。

鳥取県知事「巨星逝く 本当に残念」
鳥取県の平井知事は「巨星逝く、ということで本当に残念な気持ちでいっぱいですが、鳥取県や境港市に熱い思いを寄せていただき、育てていただいたことに心から感謝しています。漫画を世の中に普及させたほか、戦争体験を元にそうした歴史を繰り返してはいけないと伝えたことなど功績はどれも消えるものではないので、私たちもその意志を受け継いで子どもたちや孫たちの世代まで伝えていきたいです」と話していました。

「現世は地獄だと思って働く」人生の歩き方

幼少期を過ごした鳥取県境港市には愛着があり、93年には「水木しげるロード」が設けられ、03年には「水木しげる記念館」が建てられた。
10年には妻の布枝さんが書いた「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説として放映され、その生きざまが共感を呼んだ。

91年に紫綬褒章、03年には旭日小綬章を受章。10年文化功労者。

「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に連載されてからは、
妖怪を扱う人気漫画家となり、テレビアニメ化されてからは妖怪ブームが巻き起こった。

素晴らしい功績をあげ、お亡くなりになりました。
沢山の夢を本当にありがとうございました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

水木しげる