ファッションアイコン賞に選ばれた歌姫ビヨンセ「どのブランドも黒人の田舎娘に服を作りたがらなかった」衝撃のスピーチ。

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様々な文化やそれぞれの民族が共存する社会、アメリカ。今でこそ有名で日本でも知らない人の方が少ないという程有名な歌姫「ビヨンセ」がCFDAファッション・アワードのファッション・アイコン賞を受賞した。その時にビヨンセがしてくれたスピーチが驚くべきものであった。
また彼女のキャリアにこの素晴らしいスピーチが付け加えられたであろう。

デビュー衣装をブランドに頼むも門前払いだった
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ピンストライプ柄のジバンシーのスーツで登場したビヨンセ。ポップグループ「デスティニーズ・チャイルド」のメンバーとしてデビューしたころ、母のティナさんがハイブランドのショールームを回って衣装を探したものの、断られ続けた過去を披露。その結果、着用することになった母の手作りの衣装をまとうことで「強くなることができました」と語った。

「その当時、私たちみたいなカーヴィ(肉付きの良いセクシー体形。その当時は痩せ細いモデル体形がもてはやされた)な黒人の田舎娘に服を作ってくれるブランドはなかった」と語ったビヨンセ。
幼くして歌手の才能を開花させたビヨンセは父親のマネージメントの元、ガールズグループを結成。地道な努力も実り、有名プロデューサーの目に留まりデビューのチャンスを手にするも、彼女たちの華々しいデビューに力を貸すブランドは無かった。

私の祖母はお針子だった

ビヨンセの一家は、服作りに深い縁がある。ビヨンセの母であるティナ・ノウルズの学費を稼ぐため、祖父母は司祭や学生のために服を作っていた。二人の裁縫の技術は、そのまま娘のティナに受け継がれ、ティナはデスティニーズ・チャイルドの衣装デザイナーとしてビヨンセを支え続けた。

彼女たちの危機を救ったのもまた、祖母や母親、叔父であった。
祖母が母にその技術を教え、ディスティニーズチャイルド時代の衣装の多くを作った。
ある時はひとつひとつ、数百個になるクリスタルやパール付きの繊細な洋服。
そんな愛情がいっぱい詰まった衣装を着るとファンタジー・ドラマのヒロインになれた気分だった、と話す。

ファッションとは「自分を創造させてくれる」

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